いまでは「IZUMI!コメフェス」や、米ビール「IZUMIGATAKE YELL!」として知られる取り組みですが、最初からこうした形が見えていたわけではありません。
むしろ、はじまりはもっと曖昧で、小さな引っかかりのようなものから始まっていました。
きっかけになったのは、「根白石の米で何かできないか」というシンプルな発想だったといいます。

ただ、この時点では、それが何を意味するのかははっきりしていませんでした。
イベントなのか、商品なのか、それとも別の形なのか。方向も方法も決まっていない、ほとんど白紙に近い状態です。
それでも、このアイデアは自然と共有されていき、少しずつ「やってみようか」という動きに変わっていきます。
最初に何をしたのか、どこまでできるのか。正直なところ、その見通しはほとんどなかったはずです。
それでも、集まって話す時間や、試しに動いてみる小さな積み重ねの中で、少しずつ輪郭のようなものが見え始めていきました。
当時の雰囲気について
時:元々市民センターのいきいきプロジェクトのメンバーから派生していたので、知らないメンバーはおらず、常に和気藹々と楽しかったです。
始まった頃は何も決まっていない状況の中、コメフェスをやるというという目的の中手探りで動いていました。
ただ、泉区のまちづくり活性化事業助成金の締切が近づいていたので、規約や活動趣旨、イベントの中身を大まかに決めたりしていました。
自分たちのイベントを一から作る大変さはありましたが、雰囲気はものすごく良く、楽しいアイデアやそれぞれの得意分野を活かし、それほど苦もなく毎日活動していました。
中心は誰ということもなく、この分野は〇〇と様々な場面でそれぞれのメンバーが中心になって活動していました。
話をしていた内容は、コメフェスはもちろんのこと、地域にこういう要素が足りないよねとか、こういうイベントや集まりをしたらいいんじゃないか?と多くのアイデアが出たので、それがどうやったら実現できるかをみんなで考えることばかりでした。
当時を振り返ると、「何をつくるか」よりも、「まずやってみる」という感覚の方が強かったのかもしれません。
完成形が見えていたわけではなく、むしろ手探りのまま進んでいく中で、あとから意味がついてくるような状態でした。
最初にやったこと
時:一番最初は助成金をとるための規約と活動趣旨をどうするかというところでした。
活動範囲をどこまでにするのか、コメフェスは農業関係だけど地域のコミュニティ形成や地域防災などもやってはどうかなどを話をしてました。
コメフェスが当初地域のお米のみを使うという縛りにしたので、このお店なら米粉を使ってお菓子にしてくれそう、このお店のなら玄米を使って商品ができそうなどとめどなくアイデアがたくさん出ました。
炊き立てのごはんを食べてもらったら、地域のお米の良さがわかってもらえるから無償で配布しよう!とか、米の掴み取りをやったら楽しいよね!とか、建物建てるときの上棟式で餅まきをやって子供の頃楽しかった思い出があるから餅まきやろう!とか次々とアイデアがでました。

うまくいかなかったことはあまりないです。
地域の方、各施設の方、出店される方、行政の方。会う方に『面白いね』と言ってくださって手助けをしてくれたり、私たちが一生懸命行動していることを知ってアドバイスくださったりと多くの方のノウハウや知識、人脈を教えていただき、今ここまでやれています。
本当に周りの方々に支えられ、ご協力いただいたおかげで現在までやれています。
本当に感謝しています。
この段階では、いまにつながる取り組みも、まだ“名前のない動き”だったとも言えそうです。
それがどこまで広がっていくのか、どんな形になるのか。少なくともこの時点では、はっきりと見えていたわけではありませんでした。
印象に残っている一言・出来事
時:前にもお伝えしたと思いますが、市民センターのいきいきプロジェクトでお寺でヨガの企画をやった時。満興寺で下見をして休憩していた時に、「地域のお米を使ったイベントがあったら面白いですよね。炊き立てのごはんはもちろん、米粉などあるから色々できて、お客さんもたのしいと思うんですよね」と私が話をしたら、一緒にいたゆかさんが次に会った時に「企画書を作ってきました!私、ビールが好きなので、お米のビールとかいいと思ってます」と言われたのは今だに印象深いです。

自分から言った手前、やめましょうとは言えず、ちょっと発言を後悔しました笑
団体を立ち上げるのも、言い出しっぺが私だったので、そのまま代表になりました。
ただ、そんな始まりだったにも関わらず、多くの方に喜んでいただき、もうすでに4回も開催できていることに今でも信じられない気持ちでいっぱいです。
ミヤギテレビさんには最初の会発足からコメフェスまでを密着して放送してだいたり、お米ビールをイシノマキホップワークスさんが作ってくれるとなったり、助成金も泉区からいただいて区長からの挨拶の中でコメフェスの名前が出たりと、なんか思っていた以上の盛り上がりになって、正直怖いです。

当時の市民センターの館長もいきいきプロジェクトから独立した好例として全国の市民センターの集まりに宮城代表で呼ばれ、三県しか発表できない登壇をしてきたと言っていました笑
コメフェスでオリジナルのお米アクセサリーを作ってもらったお店は、インスタ経由で東京の増上寺近くのセレクトショップでお米アクセサリーが販売されることになりましたし、コメフェス出店者同士で仲良くなり、そのお店たちだけでイベントを行ったりと良い効果が波状で広がっていて、こちらもビックリです。
メンバーにもかなり恵まれ、「テントどうしよっかなぁ」→「私、テント屋でバイトしていたのですぐ聞けます!」とか、「来場者のトイレどうしよっかなぁ」→「俺がやってる建設現場関係で発注できるよ!」とか、困ったらすぐ解決することばかりで、マンパワーこそ大変でしたが、大きな壁などはなく毎日活動することができました。
いま振り返ると、この“まだ何も決まっていなかった時間”こそが、現在の動きにつながる最初の一歩だったのかもしれません。
次回は、このアイデアがどのように具体的な形へと変わっていったのか、もう少し踏み込んで見ていきます。

